マックイーン、ブエナビスタも不可解決着…ピュア競馬民を襲った函館記念の惨事
敵はJRA!奴らの横暴を絶対に許すな
今週末のWIN5対象レースとなっている第61回函館記念(G3)。夏競馬を彩るローカルの名物ハンデ重賞である。
小生の記憶が確かなら、もう少し真夏の時期に行われていた気もするが、確認してみたところ、1990年代半ば頃は8月中旬くらいの開催だったようだ。その後、7月中旬に前倒しされていたものの、今年からさらに前倒しの6月中旬。まあ温暖化の影響で気温的にはもう夏みたいなものだから、あまり深く考えない方がいいのかもしれない。
いずれにしてもJRAが大幅に番組改編を行った影響が大きく、どうせ秋からも競馬ファンはこれに振り回されるのだろう。
そんなことを思いながら、函館記念の季節が訪れるたびに思い出す苦い記憶もある。それは現在から遡ること約30年ほど前のこと。マイヨジョンヌが快勝した1996年の函館記念だ。ナリタタイシンやワコーチカコ、カミノマジックなんかで有名なリヴリアの産駒だね。
当時、まだ大学生だった小生は某セブンイレブンでバイトをする傍ら、東京ドームで見つけた気になるバイトに応募して採用が決まった。確か「an」か「フロムエー」あたりで見掛けたのがきっかけだったと思う。
勤務先を管理しているのは東京ドームだが、配属先はウインズ後楽園。もちろん我々に馴染みの深い場外馬券売り場である。他のウインズは異なるだろうが、後楽園に関しては東京ドームの管轄らしい。
何をするのかというと緑の警備員ではなく、施設内にある売店のスタッフだ。JRA水道橋駅から東京ドームに向かい、2階の入り口から進む途中にあるやきそば屋、後は上の階にある売店、それと最上階の8階にあったどんぶり屋なんかを担当した。
8階には大きなモニターがあり、非常に使い勝手もよく後楽園に行く時はいつも使っていた場所だが、現在の8階9階は拝金主義に走ったJRAがエクセルフロアに変えてしまった。
今でこそ毎週何万もお布施している上客(ギャン中)だが、当時はまだ二十歳そこそこ。周りに同世代の学生も多く、和気藹々とした風通しのいい職場だった。サッカーファンの女の子に観戦を誘われたりなどもしたが、そんなことよりこちらは覚えて数年の競馬に夢中。下ネタなんて話さない見習い中のピュア競馬民だった訳だ。
休憩時間に馬券の購入も許される緩い職場でもあり、周りのスタッフもいい人ばかり。にもかかわらず、現実は長続きせず一ヶ月程度で辞めた。
別に対人トラブルや仕事上のミスをした訳でもない。競馬の開催中、朝から夕方までレースと実況が流れる場所の居心地は悪くなかったものの、仕事でいる以上はレースに集中もできない。むしろ目の前にエッチなお姉さんがいるのに手を出しちゃダメみたいな感覚。そして、きっかけがこの年の函館記念だったに過ぎない。
ちなみにこの年の目玉は春クラシックで準主役を演じたロイヤルタッチ。ちょうどサンデーサイレンス産駒が旋風を起こし始めた頃でもある。3つ上のダービー馬ウイニングチケットの半弟だ。BNW世代の中でチケット派だったこともあり、デビュー前から期待をかけていた馬である。
デビュー戦は武豊が騎乗し、管理しているのも関西の名門・伊藤雄二厩舎。にわかファンが惚れこむには十分な理由が詰まっていた。2戦目3戦目にはO.ペリエが騎乗して、ラジオたんぱ杯3歳S(G3)でイシノサンデー、きさらぎ賞(G3)でダンスインザダークを撃破。兄弟揃ってのダービー制覇を夢見たのも無理はない。
しかし、小柄な馬体で完成度が高かったこともあってか、無敵の快進撃で3連勝を飾ったのを最後に再び勝利を掴むことはなかった。ロイヤルタッチの話をするだけでも2本や3本は書けると思うが、今回は函館記念の話なので省略する。
で、そんなロイヤルタッチに危うさを感じていたため、推し馬なことは承知の上で穴党に鞍替えしたのが函館記念。◎にしたのは兄チケットと同世代のマイヨジョンヌだった。
1996年 函館記念(G3)芝2000
ご覧の通りレース内容は完勝。仕事中でリアルタイムの映像は見られなかったが、大本命馬が敗れての配当なら悪くない。バイトをしながらプラスアルファで払戻しもあるなら最高だ。笑っていいともくらいにウキウキWatchingのはずだったが、そこで惨事が発生する。
あろうことか、勝ち馬のマイヨジョンヌが進路妨害したとして4着に降着となったのだ。いやいや、どう考えても完勝だろうこれは!こんなことが許されていいのだろうか。
金返せやこの野郎となったのは当然である。おかしいのはJRAであってファンの予想ではない。当時も主張していたが、こういうケースの場合、着順と払戻しはそのまま行い、競走馬の賞金と成績だけ降着に準拠すればいいだけじゃないか。無関係なファンにまで迷惑をかけるのはどうかしている。
若さゆえの勢いもあって、JRAに対する怒りもそのまま、こんな片手間にやっていては奴らのやりたい放題に振り回されるだけだと感じた自分は管理者に辞める旨を告げ、JRAへの怒りを胸にウインズ後楽園を後にした。
まあ別になんてことない話だが、実はこの年って2回も降着で的中馬券をナシにされている。2度目は同年秋のエリザベス女王杯(G1)。いくらピークを過ぎてもヒシアマゾンが牝馬に負けるわけないだろと自信を持ってダンスパートナーとの馬連1点勝負をした。まだホクトベガもダートに転向する前だったね。
残念ながらダンスパートナーに先着を許しはしたが2着は確保してくれた。ところが、レース後にシャイニンレーサーに不利を与えたというアナウンスがあり7着に降着。幹夫がオーバーアクションしやがってさ。これがいまだに松永幹夫を好きになれない理由でもある。
後にも先にも降着で馬券を強制ハズレにされたのは、この2回のみ。他にあるのはブエナビスタの2010年ジャパンC(G1)か。あれはローズキングダム1着の3連単も持っていたから、配当が増えて逆に儲かったっけかな。
とはいえ、かつてのメジロマックイーン降着事件も取り沙汰され、ついにうんこJRAの闇にメスも入った。その結果が2013年から改正された新・降着ルール。これにより、被害があろうが強い馬は強いと判断され、理不尽な降着はなくなった。
そういえば、カワカミプリンセスも完勝していたのに12着とかあったね。そのお陰でフサイチパンドラがたなぼたG1馬になった訳だけど、ご存知の通りアーモンドアイの母としても有名な馬。牡馬と違ってタイトルの有無が繁殖に大きな影響は与えないだろうから、2着のままでも種付けは変わらなかったもしれない。
このルールが適用されても不運な目に遭ったのが、2020年高松宮記念(G1)で1位入線から4位降着になったクリノガウディーさん。あれは少し可哀想だなあ。
という訳で今回は、まだギャン中おじさんがうんこJRAに切れて闇落ちする前のピュアだったころの昔話でした。